よく寝たョ.

昨日の日記を書くのが遅かったのは遅く起きたせいだよ.
しかも,起きたのは日記を書いた頃.つまり15時30分すぎ.
あー,だめだめだな〜.と思いつつもやめられない,うたた寝
今日は光が丘に塾のバイトに行ってきました.
「分数ができない大学生」が悪いんではなくて,そもそも中学生(小学生)から分数ができないらしいです.
1/4-4 が計算できない子がいます.
その子が悪いってよりも何が悪いかって,その子を育てた教育環境が悪いんだと思います.
なんか,「分数ができない大学生」という商標的な言葉が先行していてその実態をきちんと考えている人がいないのは寂しい.

それから,ソトコトという雑誌の吊り広告で見たんですけど,
「米はどこでとれますか?という問いに対しスーパーと答える若者」(僕の記憶の範囲ではこういう内容.実際とは違う.)
とありますけど,ほんとにそんな人いますか???
なんか,ああいうキャッチコピーも事実をきちんと書いてあれば良いけど,あそこまで嘘っぽく書いてあると,狙っているなとしか思えません.
非常に腹立たしい思いをしました.

それからある後輩の日記を見ていたところ,こんなことが書いてありました.(無断転載ごめん)
「先生にはわるいけど、学校の授業って全然わからない。」
その前後もあるんだけど,この言葉,かなり重く感じました.
どうしたら分かるように教えてあげられるだろうか?
たった4人の塾のクラスでさえ満足に教えてあげられないのに.
この子は間違いなくよく勉強しているのだろうから,理解できるはずなのに.と思う.
・・・かなり切実に書いてある.どうしてこんなに学校の授業に失望するのだろうか?
むかし,ある先生と話した時に,
「40人全員を満たしてやるのはそもそも無理だから〜略」
と言っていました.その頃は「へぇ」と納得してたけど,やっぱり,ちがう.
その生徒がいかに頑張っても,ベクトルが違うせいで成績の方向に射影した時には「全然理解できていない」という値になってしまうのだろうか?
知識の絶対値を評価するならば,その子たちは評価されるのだろうけど,ペーパーテストの成績平面では難しいのかな?
その絶対値を評価すべきなのだろうか,それとも,射影値を評価すべきなのか?それも難しい問題である.
いわゆるAO入試に代表される多様な入試形式は,きっと絶対値を測るためにあるんだろうけど,それも大学の経営戦略が入れば間違いなくそのポリシーは壊れてしまう.
(国立大の独立行政法人化はそれが焦点なのだろうか?本当にそう思っていれば良いけれど,自分の地位のために戦うのならば辞めてほしい.)
話が発散しかけているけれども,結局のところ,その子たちに理解してもらうにはやはり,「楽しさ」を知ってもらえば良いのではないか?人間は快の方向に対してベクトルを向けたがるわけだから,その他の誘惑よりも圧倒的な魅力を見せつけなければならないわけだ.ぢゃあ,どうすればいいのだろうか?わからん・・・

こういう子たちを助けてあげたいと思うし,自分も助けてもらいたい.
だれか教えて.

(9/7 0:42)