キラキラ☆

はぁー・・・だるいよ.なんだか最近朝起きれない.たとえ3時くらいに寝たとしても学校があるときには8時半には起きるのですが,どうも13時くらいとかにやっと立つことが出来ます.もしかしたら病気なのではないかと少し疑ったりもします.どうなんでしょう・・・単純に家にいるから安心しているだけならいいのですが,学校が始まってからは少し怖いです.1限科目が少ないのも考えもの.毎日1限があれば規則正しい生活が出来るのでそれほど苦はない訳ですけど,一日だけでもだれる日があれば・・・まさに恐怖・・・ちゃんと単位は取れるでしょうか?単位を取るのは簡単なのに単位を落としてしまったらしょうがないのでね.そろそろ自分のみを案じて先生に喧嘩を売るのはよそうと思います.教育心理学の1学期D,2学期A,3学期Dには驚きました・・・ヤツは絶対感情で成績をつけたぞ.
まぁいいや,そんなことはどうでもいい.今日はとてもステキな日でした.今日は国立天文台(ちなみに4月から大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台という名前になりました.日本人は長い名前が好きみたいです.そういう自分も高校のとき名前から「仕事が推測できなきゃいかん!」と『中等教育学校移行に関する問題対策委員会』なる長ったらしいセンスのない名前を付けてしまったこともあります.)の観望会の日でした.ご存知の通り,私,スタッフな訳ですけれども,今日はちょっと特別.お客様を二組ほどお呼びいたしましたー★
一組は12月の終わり頃にここの日記にもたびたび出て来た10年来音信不通だったお友達(ちなみに,その子の兄貴とは同級生で2年くらい前に会っている.)と会いました.どうやら人間は10年経ってもあんまり変わらないようです.すぐに気づきました.すばらしいですね〜.前にも書いたように,中学受験は友達に言ってなかったので(自分ですらあまり真に受けていなくて,前日までサッカーの試合だった・・・)どうやら小学校のお友達たちには裏切られたと思われているらしく,あんまり仲が良くなくってがっかりしていた訳ですけど,そんなかで,いまだに天文台にまで遊びに来てくれるなんてすごい嬉しいですよね.アリガト!
もう一組はですね,そのうちの一人が掲示板にもたまに書いてくれる人なんですけど,その人もなかなか久しぶり(1週間前の花見で会ったけど 笑)なんで嬉しかったです.一人はこれから理学の道を歩まれるそうで,私と同じような茨の道を歩くそうです.東大附属で理学系に行った人間は数少ないので(おそらく僕とその子.)すごく共感できます.また,掲示板に書き込んでくれる方は附属の頃に玄関の前で『下校途中の生徒を捕まえて天文部に勧誘しろ大作戦』(また長い 笑)と称して(実際は称してない 笑)冬時期には頻繁に観望会をやっていたのですが,いつも喜んで見ていってくれた人の1人でした(決して天文部に入ってくれることはかなった 涙).なんか,見たときに喜んでくれる姿が懐かしくて嬉しかったです.
はぁ,なんて幸せなひと時でしょう.私は友人に非常に恵まれています.これからも「星を見る」ことのすばらしさを皆に伝えなければ(ちょっと違う 笑)

それからここからは観望会のスタイルに関する僕の考えなんで,あんまり皆さん読まれなくても結構です.
今日反省会のときに先輩スタッフと議論をしました.
「観望天体を減らしてでも一つの天体を観望する時間を長く取る」か「とにかく沢山の人にたくさんの天体を,また望遠鏡の種別(拡大率等の差別)によっての見え方を楽しんでもらう」
ということです.要するに「質」をとるか「量」を取るかな訳です.僕の主張は前者の「質」を取りたい訳です.彼の主張は:
・太陽系内最大と言われる木星を拡大率の低い望遠鏡で見ればゴマより小さく,高い望遠鏡で見れば大きく見えることから距離の違いを感じてもらえればいい
とか
・望遠鏡によって見え方が違うことを楽しむ人もいる
ということらしいんです.だから,違う種類の望遠鏡を出してさっさと人を裁きたいらしいです.(本当は見せたい気持ちもあるらしいですけど.)
それに対して,僕の考えはこうです.
・見方が分からなければ,見た像は「像」で終わってしまい記憶には残らない.つまり,感動したことしか覚えていない.という事態に陥る訳です.例えば「土星」を見たときには明らかに他の天体とは違う神秘的な「輪」を持っている訳ですけれども,この「輪」が「輪」であること認識したことによって記憶が定着した訳です.つまり「輪」の存在に気づくことがなければたとえ「土星」を見てもそれが土星であったかということは記憶に残るはずがありません.「木星」に関して言えばなかなかその特徴には気が付きにくい訳です.(縞模様等,すぐに気が付いてくれる人はあまり多くありません.単なる楕円状のシミ程度に感じる人がmajorityです.)それは仕方がないことだと思います.一瞬で物事を認識できる人間はそうそういないように僕は感じます.しかし,細かく見れば,縞模様があったり,大赤斑があったり,衛生が回っていたり,それが食っぽく接近して見えたり.これをすべて認識しようと思えば,それには非常に時間がかかる訳です.だからそれを我々スタッフがそれを教えて差し上げることが必要になる訳です.
例えば,あなたの前に紅茶が並べられています.
case-A :並べられている紅茶は3種類,Puttabong (Darjeeling),Happy Valley (Darjeeling),Thurbo (Darjeeling) 
case-B :並べられている紅茶は1種類,Puttabong (Darjeeling)
飲んだこと,飲み口,味を記憶しておけるのはcase-Bではないですか?Aの場合では喫茶店で「いろいろ飲ませてもらったよ」という感想以外に持ちようがないでしょう.しかし,Bの場合ではいろいろ試してみることが出来ると思います.どんな味がするのか,香りはどうか.等々.さらにお店の人に聞いてみたくなるでしょ?味の比較とかは難しいかもしれませんけど,比較対象として認識するためには「変化」を理解するために何度も飲んで飲み比べてみたりしないと行けない訳です.しかし,回転のいい店ではそんなことは出来ません.とにかく,飲んでいただいて,味わい方を知っていただく.それが次回にもつながるし,記憶の定着にもつながる.
と私は考える訳であります.いかがなもんでしょうか?
みなさんはどうですか?「質」と「量」どちらを選びます???
これってのはさらにサイエンスの飛躍にもつながると思うんですけどね.例えばいくら門戸を広げても理科離れはなかなか食い止められません.僕の考えではいろいろときっかけはもらえるんだけど,それからどうつなげたらいいかとかそういったアフターサポートがないことに問題があると思っています.これがなくても生きていける,理科が好きな人は勝手にすればよいのです.でも,「面白そう!」と思ってもやり方分からなければ理科を知ることも出来ないし,せっかく「面白そう」と思ったやる気さえも失いかねません.ここで理科離れが生じる訳です.以前,某AGT先生が書かれた論文にあったのですが(我々が被検者になった.)講演会をやってもやった直後にはそのテーマに関して興味を持ってくれるが,また数年経てばすっかりとその講演のテーマに対する興味は薄れてしまうそうです.講演会では大体の場合,一方的にお話が進みますよね?(つまらない授業というのもよく一方的であると言われます.)しかし,国立天文台でやるような高校生体験プログラムに参加する人たちは(元々持っているモチベーションが違うにしろ)継続して研究したいと思うそうです.実際に「研究する」手法を学ぶことが出来たからではないでしょうか?ここにはモチベーションが違うという大きなギャップがありますけど,それほど間違ってはいないと思うんです.いかがなもんでしょーか???皆さんのご意見をお待ちしております.

      • 余談---

また来たよ.勇気出しちゃってメールしてくれたそーですよー.
はぁ,全く有り難いこって・・・だれか,こいつにメールしてやってください・・・

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From: dancemaniaravemastaer55@yahoo.co.jp
Subject: ゆきです(≧∇≦)メールしちゃいますo(^o^)o
Date: April 9, 2004 23:25:02 JST
To: dancemaniaravemastaer55@yahoo.co.jp
X-Mailer: Becky! ver. 2.07.04 [ja]
掲示板で同じ地域だったのと、あとすごーい気になっちゃって(;^_^A勇気だしてメールしちゃいました〜♪でもごめんなさいいきなりメールしちゃって(^^ゞって自己紹介とかしたほうがいいのかな?一応名前はゆき20歳で今はペットショップでバイトしてま〜す!!最近って掲示板とか良く使ってるのかな??良かったら少しだけお話したいからぁ〜一度メールください!!待ってるね☆

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