ラスト・ラン

■GALANT
今日はマイカーの GALANT で房総半島暴走の旅リターンズを決行しました.大体400kmくらいありました.10時間近くは運転していた気がします.今回の旅が GALANT との最後の旅でしょう.グッバイ,マイカー.といっても結局,名義変更しなかったので前のユーザーの名義になったままですが笑
無事,房総半島をほぼ一周することができました.良かった良かった.

■4年間
さてさて,明日は卒業式です.筑波大学を卒業します(たぶん).4年間を少し振り返ってみたいと思います.
僕は裏口入学のようなAC入試という大学入試で入りました.これは様式自由の自己推薦書と30分の面接だけで,あとの成績等は不問だと言うありがたい入試でした.
真っ当に受験する恐怖に負けて志望校(筑波大)は
・教育の質が低くない
・入れそう
・東京に近い
という理由で選びました.別にやりたいことなどなんにもなかったのです.
そして自己推薦書を書くときに,いろいろ高校生のクセして考えるんです.人生設計とか.でも天文学を勉強したかった僕にはその人生設計の中に筑波大の入る余地はありません.しかたがないからスゴく色々考えました.で,出した結論が,
「4年間はまじめに大学教育を受けて大学院から天文学に行こう」
というものでした.こんな決意を固めて自己推薦書を16000文字くらい書きました.高校の卒論よりも字数が多くなったと思います.

で,大学には難なく合格し4月から大学生活が始まるわけです.大学に入る前にいろいろ人生設計をしたおかげで,やっぱり授業はたくさん取りました.教職も取っていました.年間45単位の制限がありましたが,申請すれば55単位まで取れるようになるので申請して(オーバーしてますが)56単位くらい取りました.しかもクラスセミナーとか言う棚ぼたみたいな単位は取らないなど積極的に授業に取り組みました.おかげで1日数本のレポートが出てました.しょうがないので朝8時半に学校に行って18時に帰宅してレポートをやって2時くらいに終わったことにして,下に住んでる友達がやってきて飲んで3時か4時くらいまでだらだらするという生活になりました.週末は東京に出稼ぎに行っていたので当然時間がありません.もうロボットのごとく働きます.レポート生産マシーンです.まったく無意味です.

しかし,さすがに高校時代の決心が会ってもだんだんと飽きてくるわけです.毎日が鬱になって大学に行くのも嫌になりました.(まぁ,ほとんど休まず行きましたが.)
2年の夏休みに鬱憤がたまっているということを知り合いの研究員の人に相談したら,「やりたいならやればいいじゃない」みたいなことを言われて筑波大で望遠鏡を使って観測をするサークルのようなものを立ち上げました.高校生のときに封印した「天文」を大学でもやることにしたのです.おかげで日々は余計忙しくなりましたが,なにより毎日が楽しくなりました.
ところがまたもや問題が起こります.今度は色々手を出しすぎて自分がオーバーフローしてしまいました.3年の頃ですね.学校の授業も程々に,観測もやる,他にもいろいろデータをいじったりパソコンの勉強もやる.でも,結局は手が回らなくなって授業にウェイトを置き直しました.ようやくバランスが取れてきて穏やかな生活が送れるようになりました.
4年生になり,希望通り宇宙理論の研究室に配属されました.研究室の学生ががスタッフに比べ多すぎるので最初は何やってるんだかまったく分からず,やっぱりあきあきしますが,教授先生の話はやっぱり教授先生だけあって面白かったです.いろいろ受け取りました.次第に研究室のコロキウムで言っていることもなんとなく理解できるようになってきます.なんとなくですけどね.そして,大学院を受験します.ちょうどそんなときに2年の冬にハワイで聞いたプロジェクトが具体化しそうだという情報を手に入れました.「将来何やろうかなー?とりあえず東大でも入ればなんか出来るだろうな?」とか適当なことを考えていましたが,急激に話は進行し,大学院での指導教官とコンタクトを取り始めました.いろいろありましたが無事大学院に合格し,総研大に進学することにしました.「就職するなら東大ブランド」とか東大の先生に言われましたが,そんなの無視で天文学に携われる人になろうと思って自分のやりたいことをやるようにしました.
そんなことで気がついたら,卒業論文は大学院での研究にかなり近い分野を勉強することになり,その勉強がきっかけでドイツの先生に会いに行ったりしてモチベーションをあげたりもしました.

結局,大学4年間で分かったことはやりたくないことをやっていても長続きしなくて,なんにも成果にならない.やりたいことをしっかりやらないと楽しくないんだと実感しました.そして,やりたいことが好き勝手にできる環境が筑波にはありました.非常に良かったと思います.

4年間,ともに議論したり遊んだりした友達や,応援してくれた友達,しっかりと援助してくれた親とかに本当に感謝したいと思います.
それとともに,これからの5年間もまたどうぞよろしくおねがいします.